いつまで続くかわからないブログ/実験と挑戦

すぐ飽きる。最後までやりとげられない。物事を先送りする。そういう人のブログ。実験と挑戦。

ツイッタで寂しい病は治せない。ツイッタを止めたら治る。これほんと。

いやはやもう12月27日、12月は暇だったはずなんだけど、ブログを書かなかった。そういう欲求が湧いて出てこなかったんだよね。ツイッタやめたばっかの10日くらいは、禁断症状みたいなのが出て、連日ブログに吐き出してたけど、それもほどなく治まり今となっちゃあ、どうしてあんなにツイッタに依存してたのかと自分の弱点を冷静に眺める気持ちまで到達した。そしてなんと時間を無意味につかっていたのかと。

いや~、まずツイッタを止めたらイライラが格段に減少したね。頭の中も気持ちもそこそこすっきりして、ざわつくことが少なくなった。そのツイッタのタイムラインの先にいる顔も知らず本名も知らない相手を常に意識して話題に遅れないように常にTLをチェックして、見ず知らずの人間を相手に呟きまくっていたのは、病的だった気がする。相手の気に入るような返信をわざとして相手からの返信を常に待っていたり、無駄に期待したり、返信が来ないと嫌われたのかと何か変なこと言ったのかと気にしたり、見えない敵を相手にやたらめったに剣を振り回しているようで、なんか私はとち狂っていたのではないかと思えるほどだ。そんなに寂しかったのだろうか?そんなに繋がりたかったのだろうか? 今では遠い昔のことのように思えるし、そんな繋がりをもちたいとも全く思わないけど、よほど心が弱っていたのか何かのバランスをくずしていたのだろうねえ。ただ、ツイッタではその病は治せなかったよ。ツイッタをやめたら治ったんだから。

寂しい病、繋がりたい病が治って良かったと思う。気落ちが楽になった。ツイッタをやっている人全員が寂しい病というわけじゃないだろうし、やっている目的も私とは違うんだろうと思う。だから仕事の一部としてではなく個人的なアカウントとして5年も6年もツイッタを続けている人の精神的なバランスと時間の上手な使い方が、私には全く想像もつかない。

ツイッタの良いところは広く種々の情報を瞬時に手に入れられることだけど、それならアカウントを開設して、必要な情報源のアカウントをフォローして読むだけで済むし、ツイートや返信やRTをする必要なんてない。今私はそうしている。コンサートチケット情報やIT情報はツイッタが一番早いし正確だから。

それに友達や知り合いとの連絡は、用事のあるときメールかLINEでやればよくて、日常のつぶやきを読んでほしいとは思わない。つまり私にとってツイッタで繋がる人は見ず知らずの人だけだから、用事がある人達ではなくてただSNSで繋がるだけの人達なわけで、どうしても人生に必要なわけじゃないんだよね。そんなことのために心のバランスを崩したり何時間も時間を取られることにしがみついていたのは、私の場合心の病気だったとしか思えないんだよね。

何が言いたいかというと、私にとって毒でしかなかったツイッタでの他人との繋がりを平然と何年も続けている人の精神構造は一体どうなっているのだろうと不思議で仕方がないし、すごく興味があるのだけど、知る由もないってこと。

誰か教えてください。