ビブリオバトル観覧
本好きな人たちの間でブームになっている「ビブリオバトル」を観戦してきた。おもしろかったんですよ。楽しかったんですよ。ええ、もうね発表者は慣れたもので、まるで公開ラジオのDJのようでしたよ。最初の観客のつかみから、本題への引き込み方、中盤の盛り上げ方と笑いを取る切り替えし、そして一気にクライマックスへ、なんて大袈裟だけど、それくらい話がうまかった。うんざりするほどつまんない人のもあったけどね。そういう時はもう意識を飛ばすしかない。
ただね、つくづく思ったのは、ああここでもクラスタ、顔見知り常連コミュニティーができてて、初めての参加者や観覧者とのあいだにカーテンのような膜のような仕切りができてしまってるなあってこと。まあ人が集まれば必ずそいうことは発生するんで、いちいち気にするほどのことでもないかなと思うけどさ。それでも嫌いなんだよね~そういうの。まあ私は人見知りは全くしないんで、平気で初対面の人にも話しかえるし、話題もそれなりに見つけられるし、どってことないんだけどね。
それともう一つ感じたのは、本を紹介するのはすなわちその人自身の思考を表現するようなものだから、たった5分でも初対面でもたった1冊の本でも、その人のある思考の一面が垣間見えるわけね。で、それが自分の範疇から遠くて、どうしても受け入れられないというか、むしろ嫌悪感さえ感じた場合、どうやってその人の紹介本や表現を理解すりゃいいのかわかんなくてげんなりするってこと。げんなりって意味は、自分の度量の狭さとか視野や思考の狭さに、情けないような悔しいような反省のような気持ちもなるし、その相手の思考への嫌悪感も消えないしみたいな葛藤かな。
別に友達になる必要も、話す必要すらないんで無視してればいいし、忘れればそれで済むんだけど、あんなことが好きであんな考え方をする人がいるってことを目の前につきつけられて「お前は多様性を受け入れらるのか?」って問いかけられてるような気がして、ちょっと苦しくなったりするのよね。そんなことがいい刺激になるんだろうけどさ。
あとはあまりに短絡的で知ったかぶったようなわけのわかんない話を聞かされたたときは、瞬間的に聞こえないふりをしてしまった。それはね、こんなこと「日米安保理や米軍沖縄基地問題と福島の原発問題で同じようなもんなんだよねー、日本の社会ににとって」って、意味わかんないから!! 何を根拠にどんなところが、どういう意味で同じなのか全然わかんないから!「難しいい問題だよね」で締めくくられても、わかんないから! まあ考えないよりはましかもしれないけどぉ。「現実には必要だけど、理想では不要」ってことですか? そんな物事ゼロか100か、白か黒かなんてことで片付くことなんてないから!
まあ、まだどこかでやっていたら行ってみようと思う。どうであれ人とのつながりは面白いから。