いつまで続くかわからないブログ/実験と挑戦

すぐ飽きる。最後までやりとげられない。物事を先送りする。そういう人のブログ。実験と挑戦。

精神的安定と日常の充実感とブログ

ストラテラのおかげで、かなり感情のコントロールが出来るようになって、慢性的イライラもほとんど気にならなくなった。この精神的なある程度の安定感が読書をしたり、英語の練習やWeb授業を続けたり、仕事も人間関係も忍耐できるようになって、割合日々が充実してきた。これはひとつひとつに集中できる(気が散らない)ということが、この充実感をもたらしていると思う。そうすると、ブログを書く必要がなくなってくる。私にとってブログは欲求不満とか文句とか負なる感情を言葉で吐き出す場所だからだ。

 

発達障害の子供

二人の子供がADHDとアスペルがー症候群の合併症と広汎性発達障害の母親のブログを読んだ。生んだ子供二人ともが発達障害だってことは、もう遺伝ですね、間違いなく。発達障害は70%から80%は遺伝だと言われている。2親等に発達障害がなくても3親等くらいを見ると誰かしら一人や二人は発達障害の親類がいるということらしい。

ブログを読んでいて、娘さんがコンスタータやリスパダールを服用していて、そのことにかなり悩んでいるのが分かったので、私もADHDストラテラの有効性を教えてあげたくなったけど、長い長いブログを最後まで読んでやっぱりコメントするのは止めようと思った。

私はADHDでそれは生まれつきだから子供のころからそうだったわけだけど、うちの両親は私の普通じゃない言動に特に悩んだりしてなかった。もちろんその頃は発達障害などという診断名もなかったし、診断する医者もいなかったからだけど、それでも私は周囲からわがままでどうしようもないと言われ、両親は「育て方が悪い甘やかしすぎるからだ」と言われ続けていたけど、別に気にもしていなかった。両親のおかげで私はわがまま自分のしたいように育ってこれたわけだ。で、何が言いたいかというと、その母親は自分の責任で発達障害の子供を二人も生んだわけだから、それは自分と夫どちらかの受け継いだ遺伝のせいなわけだから、その責任のすべては両親にあるわけですよ。だからね、世間が分かってくれないとか精神薬を飲ませることに悩んでるとか、世間からいろいろ攻められるとか、ブログなんかに長々と愚痴を書くんじゃなくて、もうあきらめるか、覚悟を決めて発達障害の子供を育てて、薬も子供本人が飲み続けたいという限りは飲ませるしかないってこと。そういう子供を生んだのは、ある意味その母親の運命なんですよ。少しでも子供の人生が発達障害による苦悩から遠ざけられるなら薬があってよかったと思うべきなんですよ。それだけ悩んでブログに愚痴を書いてる暇があったら、神経科学や、薬学、精神医学、心理学を勉強しなさいってこと。分かりやすいハウツーものの中身の薄い発達障害の本を何冊読んでも医者のセカンドオピニオンを何回聞いても何も答えなんて出てきません。自分で専門書を読んで自分で深くADHDやアスペルがー症候群を理解して、脳のなかでどんな神経伝達物質がどんな働きをしていて、自分の娘の場合は何のバランスが悪いのかを個々に理解するしかないんです。毎日娘の行動を細かく記録するとか、薬を飲んでる場合そうでない場合、寝不足の場合やよく寝た場合など観察記録をとって、しっかり成長段階の変化を把握して、行動(生活)の工夫や薬の調整をするのが先決でしょう!

私は、自分がADHDであることが分かったので、子供は生まないことに決めている。遺伝する可能性が高いし、そうなったら自分と同じ苦悩を子供に味あわせることになるから、それは避けたいしそんな理不尽なことに加担したくなから。私だって本当は結婚もしたいし子供がほしい。でもそれよりも新しく生まれてくる子供にADHDを背負わせるのだけは絶対にしたくない。私の言う「覚悟」とはそういうこと。その母親は生んだのだからその苦悩を背負って生きるのは当然だし、他人の同情を引くように長々と愚痴をブログに書くなんてみっともないよ。美しくない。あっ、私は自分の両親を恨んだりしてない。むしろ感謝してる。私を決して否定せず、普通に育てようとせず自由にさせてくれたから。

生きてる限りは、ふだんゆる~くだらだらしててもいい加減でも、ある時点でひとつくらいは覚悟を決めなきゃならないときがあるんですよ。その母親にとっては二人の子供を生んだことに対してでしょう!あなたと夫の遺伝子を受け継がせたのだから。子供は親を選ぶことが出来ないのだから。もうひとつ薬への覚悟を書くと、私は死ぬまでストラテラを飲み続けようと思ってる。そうしないと社会に上手に適応して、自分のやりたいことが出来ないからだ。今までの苦悩を繰り返したくないからだ。これがもうひとつの私の覚悟。何か問題ある?

森博嗣的思考

森博嗣の小説は数えるほどしか読んでないので、彼の作品を批評する立場にないんだけど、何で沢山読んでないかというと、数冊読んでみて「面白くない、他の作品も読みたいとおもわなかったから」が理由。ただそれだけ。

エッセイは5冊読んだかな。だいたい内容の傾向としては、科学的な物の考え方を説き、それを基に客観的に物事を見て感情を入れずに判断するってこと、社会の常識を疑い、その常識に縛られない考え方を書いている。その中で、「孤独こそが至福の時を与えてくれる」というようなことや、「何も無理をして結婚はしなくてもよい」「職業や来ている服や持っている物で人の価値は判断できない」ということが割と繰り返し書いているんだよね。まあ私としては、そのあたりの思考に結構救われるところがあって、最近かなり影響を受けて「そうだよなあ、どうして人は必死になって結婚しなきゃいけない! 結婚してないのは一人前じゃないし、変り者か嫌われ者だあ、なんて思うんだろうなあ。結婚して子供をもって住む家を買うってのが平凡だけど幸せの王道で、家族がいて家族が幸せであることが最も自分にとっての幸せにに繋がる、なんて思うんだろうなあ、よく考えたら別に一人だって幸せってことだってあるし、まるで未婚者が変人みたいに言われるのも偏見だよなあ」と思うようになった。

ただそう言ってもねえ、森氏も結婚して子供もいるしなあ。世の中で大勢を占める側が社会の常識とか文化を作っていくのは自然の道理だし、男も女も中年で独身でいるとほとんど汚いものか、哀れなものを見るような目でみられたり、陰口言われたりするのが現実だしねえ。

森氏のような思考でいられたら、さぞかし気持ちが自由になって楽になるだろうね。彼がエッセイに書いているのがそのまま彼の性格だと仮定したら、それはほとんどアスペルガー症候群ADHDの合併症例に当てはまると私はかねがね思っているんだけど、本当のところは分からないよねえ。

 

今、気づいたけど、結婚して子供もいてとんでもなく大きな家を建てて、数十億円もの資産がある森博嗣が「結婚などしなくてもい。孤独ほど楽しいものはない」というから説得力があるんだなあ。これが独身で社会的地位も財産もない中年男性が言ったら、ただのヒガミにしか聞こえないものね。

それと森氏は「家族の話ををする人は好きじゃない」とハッキリ言い切っている。それは「私は目の前のあなたと話しているので、あなたの話が聞きたいのであって、家族の話はどうでもいい。あなたの考え方あなた自身を知りたいのだから」という理由らしい。これには私も同意見だ。いつも思うんだけど、仕事でも友達でもとにかく子供や夫の話ばかりでつまらない。その人が好きなことやまあ悩みでもいいし、その人の話だったら興味をそそられるよね。目の前にいる本人の話だもの。家族なんて顔も名前も知らないし間接的に話だけ聞いても全然面白くない。それでも世の中では他人に子供や孫、夫、妻の話がどうしてこうも多いんだろうねえ。不思議だ。確かに不思議だ。でもまあ専業主婦だったら子供や家族の話題しかないかあ、それとサラリーマンは仕事の話ばっかだしね。

私? 本の話と漫画の話と好きなミュージシャンの話、神経科学の話、発達障害の話、英語学習の話、スウェーデン人やスウェーデン文化、スウェーデン医療制度と日本の医療制度の違いの話、日本企業文化とスェーデン企業文化の話、ワークライフバランスの話、再生医療の話こんなとこかなあ。大したことない?つまらない?

今年はFacebookからフェイドアウトする

さあて、去年はTwitterをやめた。そして今年はFacebookからフェイドアウトしようと思う。まあそれほど活動しているわけじゃないけど、去年はちょっと凝ってしまってシェアとか読んだ本の感想とか、好きなスポーツ選手への応援とか、そこそこアップしてた。

まあ、いつもの二人がときどき”いいね”をくれたり、ごくごくたまにコメントくれるだけで、その他の人はまったく反応しない。それでいいし、私は承認欲求不満症候群ではないから、そんなことはどうでもいい。で、なんでフェイドアウトしたいかっていうと、単に飽きたというか特に得るものもなく、どうでもよくなったっていうのが理由のひとつかな。アカウント開いてもつまらないというか、他人のアルバムにそれほど興味をもてないってことかな。

それに自分の読んだ本を記録するためだけなら読書メーターがあるし、それ以外特にタイムラインにアップしたいことなんてないから、もうfacebookは何か利益になる情報収集以外に活用する道なしと思ったわけ。そう、たまーに役に立つ情報もあるからね。ただ、自分の活動や考え方や日常を知り合いに知ってほしいとは思わないし、むしろ知られたくないってのもfacebookから遠ざかりたいという理由のひとつでもあるので、もう自分情報を載せくないから載せないということ。

私は他人とつながりたい症候群、寂しい病を克服したと言えるかなあ。とにかく孤独が好きになった。ひとりで読書して英語の勉強して、神経科学の教科書を読んでるときが至福のときなんである。自分のペースで食事をして、自分のペースで自分だけの時間をすごす。こんな贅沢はないでしょ。世間の人から見たら寂しくて一人ぼっちなかわいそうな人って映るんだろうけど、本人は楽しいんだからねえ。もう人間関係で悩むことはないし、それって誰もがのぞむことなんじゃないかなあ。