いつまで続くかわからないブログ/実験と挑戦

すぐ飽きる。最後までやりとげられない。物事を先送りする。そういう人のブログ。実験と挑戦。

12月19日から坂口恭平氏が私の中で増幅

今頃知ったのかとバカにされそうだけど、坂口恭平氏を最近知って昨日初めて独立国家総理大臣演説を聞いて、紀伊国屋だかどこだかでの対談(2012年6月開催)をビデオで見た。もう強烈で頭からどっかーんって殴られた感じ。坂口氏本人は躁鬱だと公言しているのでこれについてブログに書いたとしても何ら問題ない。ようはその様子はまさしく躁状態なのである。そしてその発言はハチャメチャなところが随所にあるのである。論理性がないのだ。もうそれが私の中のADHDが故の極端な衝動性にスイッチを入れてしまったのである。たまらなく親近感を持ったし、たまらなく好きになったし、たまらなく坂口氏を知りたくなった。ああいう発言を聞いてると、世の中で言われている論理的思考とか客観的思考とかクソくらえって思えてくるし、必死に自分を律して会話を進めていくなんてちゃんちゃらおかしくて、ケッてなもんだと思えてくる。

私も論理的思考とか客観的思考とか、とんでもなく苦手だ。うんざりする。だけど社会で生きていくためには、特に会社員としてやっていくためには、空気を読むとか他人に分かるように簡潔に論理的に説明することが必要で、もう10年以上もの歳月をかけて自分で自分を訓練してやっとそのふりだけはできるようなった。だけどもう正直めんどくさいのである。私は素のままだとほとんど感情的、感覚的、抽象的にしか物事を考えられなくて、論理的とか客観的にするために、えいやってギアを入れドーパミンの働きが良くなるように物凄いエネルギーを使わなきゃならなくて、いつもそれが出来るとは限らないし、長い時間継続できないのである。

しかし、素のままでいると話があちこちに飛ぶし感情的で感覚的な物言いになって周りのひんしゅくを買うか、周りの人が気が付くと居なくなっているということになってしまう。だからね、坂口氏が計算なく思い浮かんだことを言いたいように言って機関銃のごとく喋りまくる姿を見て羨望の感をいだいたわけ。もちろん物書きとしての才能があって世間に認められている彼だからできるのであるけどね。

躁鬱である状態が人生のすべての日常を支配してるのはしんどいと思う。そりゃ並大抵の人生でなく、大変なエネルギーのいる楽じゃない日常だとは思う。ADHDよりしんどいと思う。想像に難くない。ADHDでさえ飼いならすのはとても辛い日々だもの。だからこそ親近感と自己肯定感を感じたわけ。で好きになちゃたわけ。

論理的思考とか客観的思考ができる人が知的で教養がある人で、リーダーとなるべき人のように思われてるし、つまり社会的に上位であるような暗黙の了解があるけど、ふん、そんな人達はつまねーよって言いたくなるね、彼の話を聞いてると。そんで、私でも生きる場所が間違いなくあるなあって思う。視点を変えてみればいいだけのことだよなあって。