いつまで続くかわからないブログ/実験と挑戦

すぐ飽きる。最後までやりとげられない。物事を先送りする。そういう人のブログ。実験と挑戦。

森博詞と私の脳

 

森博詞の作品を初めて読んだのはごく最近だ。数か月前。それまでは全く興味もなかったし、10数年まえに書店で立ち読みして「げっつ、嫌いなタイプ(の作品、作家)」と思ってほとんど眼中になかった。それがある人が気になるようになって、その人が森博詞の考えか方に大きく影響されていることが分かって、知りたくなって森博詞を読み始めた。

まずは「科学的とはどういう意味か」(幻冬舎)から。そして「すべてはFになる」「クレィドゥ・ザ・スカイ」「黒猫の三角」「MORILOG AKADEMY 1」を読んだ。

やっぱどうしてもファンにはなれないわ。毛嫌いする気持ちは消えたけど、好きになれない。なんていうの、正直言ってムカつくんだよね。この人の言ってること。で小説はごく初期の2冊しか読んでなくてとやかく言うべきじゃないと思うんだけど、つまんないんだよね。他の作品を読みたいと思わせてくれない作品だったんだよね。なんかもうスカスカていうかさ。

で「科学的とはどういう意味か」は神経逆なでされるけど心に引っかかって考えさせられて、ちょっと痛いとこ突っつかれたみたいで悔しいけど、なんか気づかせてくれてありがとうって気持ちになった。読んでよかったなって。

だだね、また言うけどね、森博詞って人、私が作品を読んだ限りでは、情報処理の力が高くて速く、同時に数種類の物事を処理できて、情報に押しつぶされることなく、感情に溺れたりすることなく、焦ることなく冷静に物事を対処するにあたって多面的に判断できる人なんだよね。作品の中で自分はそういう考え方をする人間だと言っているだよね。要はいわゆる頭のいい人なわけ。

でね、そりゃ作家だから、多種多様な大勢の人を対象に書いているわけで、私個人に向かって説教しているわけでも批判しているわけでもないってわかってるんだけど、なんか「お前はバカだ」と言われているようでムカつくのよね。そう考えるところが森博詞から言わせれば「近視眼的で一元的で感情的」であり「科学的」ではないんだろうけど。でも「しかたないじゃん、そもそも私の脳は生まれつきノルアドレナリンドーパミンの働きが悪くて、ワーキングメモリーが悪く、一度に複数の物事の処理ができなくて、注意欠陥で、感情のコントロールが上手く出来ないんだからさ!! 算数が苦大の苦手で2ケタの足し算引き算ですらおぼつかないんだからさ!!」って叫びたくなるわけよね。そういう生まれつき脳の機能不全がある人間はどうしたらいいだよー!!それでも科学的に考える努力しろってか?ってね。まあ、そういう人間を対象として想定していないだろうけどね。

まあ、そんな刺激を私の脳に与えたことが作家として価値ある仕事なのかもしれないし、頭のいい人の社会における役割なのかもしれないけどね。

頭のいい人が「頭の悪い人」を理解する必要はないんだろうし「頭の悪い人」に迎合する必要もないし「頭の悪い人」を慰める役割でもないんだろうしね。

ああ、でも、でもあの感情に振りまわされずに理路整然と理屈を論ずるあの態度が、私の神経をさらに逆なでするんだよねー。感情的な私を。

頭のいい人の一抹の傲慢さを感じるんだ。そう思うのは私だけ?