いつまで続くかわからないブログ/実験と挑戦

すぐ飽きる。最後までやりとげられない。物事を先送りする。そういう人のブログ。実験と挑戦。

信じている人達

 

今日、西洋社会が作り出した神様を信じている人達の集まりへ行ってきた。それはそこにいるレベッカにさよならとありがとうを言うため。決して信じる人になるためではない。

とにかくね、私にはあの集まりは何ていうかアレルギー症状が出る食べ物を食べたときに蕁麻疹がでるような、あるいは体が受付けないものを食べてお腹を壊したみたなことになるわけです。ようは気持ち悪くなるんですよ。受付けないわけですよ。それなのに、あの人たちは押し付けてくるんですね。「心の扉をあけなさい。受け入れなさい。今じゃなくていいのよ。時期が来たら出良いんだけど、神様を受け入れなさい」とかなんとか言っちゃってね。もううんざりなわけ私としては。

だったら別にその人達に近づかなきゃいいだけのことじゃんって思うでしょ。そうなんです。その通りなの。なんだけど、なにせ英語を話す機会をタダで得られるわけだから、タダより怖い物はないってことで、そんな気持ち悪くなるっていう代償を払いつつ英語を習得すべく強い心で臨んでるわけですね。いやなにも強い心って意地を張る必要もないんですよ。だって私は西洋の神様にはこれっぽちも興味ないですから。

しっかしそれも今日で終わりました。レベッカが月曜日には帰ってしまうから。彼女も信じる人でしたけど、彼女はとても視野の広い人で多様性を受け入れる寛容さを持っていて、私に信じることを押し付けたり強要したりしなかったし、私のとんでもなくブロークンな英語でも何とか聞き取ろうとしてくれた素晴らしい女性です。んなわけで9か月も毎週土曜日バイブルスタディに参加して英語をしゃべって読んでってな苦行がつづけられたのですよ。はい。

信じる人達にはむろん色んな人がいるのだけど、とにかく付き合いづらいのは近視眼的、一元的、他者(信じていない人達や他を信じている人達)を認めない、まあ原理主義の人達ですね。もうああなっちゃうと「信じてる」じゃなくて「盲目」「依存」という状態で思い込みが激しくて、他者を攻撃するし、まったく柔軟性のかけらもなくお話になりません。

やっと解放されます。レベッカがアメリカに戻ってしまうのは寂しいけど、その他の「盲目的信者」ともう会わなくていいのは結構嬉しい。たまったもんじゃありませんよ。まったく。だってさ看護師なのに、いまだに進化論を否定するし、死んだ人が3日後に生き返ったってこと(2000年前の話)を信じてるし、私はそんな人に看護されたくないもんね。「大丈夫よ。あなたは末期がんで手の施しようがないけど、神様を信じれば奇跡を起こしてくれて明日にはすっかり癌は直ってますよ。だから心配いりませんよ。だから信じましょう。お祈りしましょう」なんて言われたら嫌だもんね。